2008年妻の千恵美と共に篠崎竜大建築計画事務所として事業を開始し、2018年にLIGHTHOUSE設計株式会社に改称しました。わたしたちは長崎県の離島である壱岐島を拠点に設計活動を行っています。
わたしは大学を卒業後、建築設計事務所で博物館、オフィス、集合住宅など様々なプロジェクトを経験してきました。千恵美は元々、建築とは全く関係のない映像・メディア関係の仕事をしていました。彼女はその持ち前の行動力で行きたいと思ったところには世界中どこにでも出掛けていき、様々な感情や感覚を育てていました。そして、壱岐に戻る前に一緒にヨーロッパ中を巡り、古くからの歴史ある都市や、Alvar AaltoやMies van der Roheなどの建築に触れることで、建築に興味を抱き、独学でインテリアコーディネーターの資格を取得。様々なプロジェクトにおいてインテリアにとどまらず、女性ならではの視点で生活やビジネスの提案を行っています。また彼女は健康な魂をもっていて、人と接することが何よりも好きです。
わたしたちは今、両親が生活していた築40年の住宅を改修して住んでいます。この改修では、人が集まる場であること、食事の時間を大切にすること、そして静かな時間があること。そんなことを考えながら計画しました。改修する前の生活が少しずつ変化し、多くの人が集い、自然と何気ない日常を大切にするようになっていきました。
「住まいは生活を変えうること」を確信することができました。
わたしたちは壱岐島の東の玄関口である芦辺という小さなまちで生活しています。すぐ近くの美しい海の風景が休息する時間を与えてくれます。子どもたちと身近な自然を楽しみ、小さなコミュニティを育み、そして仲間と大いに語らい、健康的なワークライフバランスをつくっています。
また、ここに住むことは、人口減少を始め様々な地域の問題の渦中に身をおくことになります。
わたしたちは今、同じまちに住む仲間と共に「たちまち」という名前で様々な取組みをしています。一時的なイベントではなく、地域固有の文化や歴史を大切にしながら、まちの新しい日常をつくることを目的に、空き家や移住、子どもたちの環境づくりなどを中心に活動しています。
長い時間をかけ、地元の友人と交わり、やっと聞き出せる「本当に必要なこと」、そこにはより長期的な公共的な利益、そしてバランスと妥協の精神が含まれる。それは道端でよく口にされる「便利」とか「使いやすい」といった慣習的な思考とは完全に異なるものである。(Huang Sheng-Yuan)
わたしたちには今このことが、すっと腑に落ちる感覚があります。
建築を学び始めるころから建築士の仕事は「与えられた敷地で最大のパフォーマンスを発揮すること」だと思っていました。しかし、今わたしたちは、建築がつくられるそのまわりの環境の変化にも興味をもっています。環境を変えることから建築物という単体を考えること。そもそも建築物を単体でとらえず、1つ大きな屋根の下に家があり、お店があり、人の居場所が点在し、それらがゆるやかにつながっていくことを思考しています。まちのそれぞれの敷地は個人のものではあるけれどもその個人の権利よりも公共性が重要視されていくことが大切です。個々の空間が変わることで、社会が変わる、のではなく、社会が変われば空間が変わっていく。人の意識が変われば、昔からそこに存在していた古びた神社やツタの伸びた石垣も愛着のあるものとして見えてきます。
人と人がゆるやかにつながる社会では、空間は閉じることなく、どこか流動的につながっていくような、そんな新しい空間が求められる。この地域のリアルな生活を感じながら、感情をともなった風景を次の世代につないでいくことを目指しています。
代表取締役 一級建築士
木造耐震診断資格者
1979年長崎県壱岐島に生まれる。
福岡大学建築学科を卒業後、2003年~06年まで、菊竹清訓建築設計事務所に勤務。
フリーでの設計活動を経て2008年に篠﨑竜大建築計画事務所を共同設立。
2018年LIGHTHOUSE設計株式会社に改称。
インテリアコーディネーター
1979年長崎県壱岐島に生まれる
2000年~02年まで、日本テレビにてADとして勤務。
2002年~05年 フリーとして映像会社に勤務の傍ら世界各地を旅する。
2005年~08年まで、FBS福岡放送にてニュース番組の制作。2008年転職し、篠﨑竜大建築計画事務所を共同設立。